宝満山(829m)〜三郡山(936m) 福岡県

 
 
JR九郎原駅から見た、左、三郡山から砥石山への稜線


宝満山山頂


経路概念図 クリックで拡大


8月31日

 太宰府市の西鉄太宰府駅から、宝満山、三郡山を経て飯塚市のJR九郎原駅まで縦走した。
 距離は20.1km、うち山道は、竈山神社から上内住峡橋までの11.6km、残りの8.5kmは林道と一般道で、所要時間は7:35であった。

 午前6時過ぎに太宰府天満宮の横を歩いていると、いい香りがしてくる。香りのしてくる方向に目をやると「梅ヶ枝もち」屋さんからである。香ばしい誘因物質に吸い寄せられるように立ち寄って買い込み、ザックに入れる。うち一個は手に持って、熱々をほおばりながら先を急ぐ。

 「山を想えば人恋し 人を想えば山恋し」これは著名な登山家であり、北アルプスの麓や山小屋で訪れる登山者を支え続けた百瀬慎太郎の言葉であるが、私たちにとって、宝満山や三郡山はそのような思いを抱かせる山である。
 これらの山を訪ねる時は、いつも旧知の人との再会を期待して歩いている。

 この日も宝満山への途中で、声をかけられた。振り向くと、仕事でお世話になっていた人の笑顔がある。
 数年ぶりの再会に話が弾み、途中の百段雁木や急登も上の空。あっという間に宝満山の頂に着いた。頂は濃いガスの中で、期待をしていた眺望はないが、岩の間にはピンクや白のゲンノショウコが咲いている。
 その懐かしい人とはここで分かれ、三郡山を目指す。

 三郡山への稜線も濃いガスで、時々浮かび出るブナの古木が幻想的だ。足もとには、ホトトギスが今を盛りに連なって咲いている。
 三郡山頂もガスで眺望はない。頂の周辺では、厳しい環境にもかかわらず、数本のオミナエシが凛とした姿で立っている。

 三郡山の山頂からは若杉山への縦走路を進み、内住(ないじゅ)峡への分岐点を目指す。
 稜線から内住峡へは、2本のルートがある。,2007年4月に、そのうちの1本である砥石山の近くから内住峡へ直接下ったが、このルートの上流部では、大規模な土石流によって登山道は流されていて危険な状況であった。

 今回はその危険な場所を避けるために、前回よりも手前のルートを下り、途中から内住峡へ向かう予定である。
 すれ違う登山者に、手前にあるルートの分岐点の状況を尋ねると「分岐点の標識はあった」とのことで一安心。

 途中では色々なキノコがたくさん立ち上がっている。その種類や量は非常に多く、今年はキノコの当たり年のようだ。

 特に目立つのが真っ赤なタマゴタケで、あちらこちらに顔を出している。このキノコは数年前から見たいと思っていたが、そのチャンスに恵まれず、見るのは今日が初めてで、嬉しくなる。 
 このタマゴタケは、食べられるそうであるが、人に踏まれないように木の枝で囲って先へ進む。

 稜線にある手前の分岐点「内住峡・小河内」の標識を見つけて現在位置を位置をGPSで確認をすると、地形図の登山道とぴったり合致していて、そこから、標識に従って北東へ向かう。
 しばらくすると崩壊した林道を横切り、その先には内住方面と小河内方面への分岐点がある。そこには「内住、九郎原/小河内、大分」の標識があり、地形図の登山道は小河内、大分方面へ延びている。

 私たちは、地形図には記載がない登山道を「内住、九郎原」方向へ進む。道は明瞭で目印も付いていて、歩くのに支障はない。
 登山道は尾根を進み、途中で小さな谷を幾つか越えると、やがて内住峡の本流を遡って砥石山に近い稜線へ通じる登山道と出会う。そこには三郡山方向と砥石山方向を示す標識がある。その標識から少し下ると林道に出会い、そこは上内住峡橋のすぐ横である。

 林道を内住本村まで下り、さらに一般道をJR九郎原駅まで歩く。

  駅から振り返ると、稜線一帯にかかっていたガスはとれ、雲は多いながらも先ほど歩いた三郡山から砥石山へ続く稜線が午後の光に霞んでいた。

ゲンノショウコ


クサアジサイ


ガンクビソウ


クルマバナ

 
ミヤマウズラ


ママコナ

 
ヤブハギ


キンミズヒキ

 
オトギリソウ


クサノオウ


オトコエシ


アキノタムラソウ


オミナエシ


アカバナユウゲショウ

 
ヨメナ

 

ホトトギス


林道沿いの大岩にあったキイロスズメバチ
の巣 直径は25cmほど。
これから秋にかけては、特に注意。



タカサゴユリ


この日に見た「きのこ」色々

林道の側で見たウスキキヌガサタケ


タマゴタケ
 
アラゲキクラゲ
 
コシロオニタケ

       
 
オニテングタケ

   
     
ザラエノヒトヨタケ

シロオニタケ


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